ありがとう、私のモラトリアム
私は明日、大学を卒業する。
4年間の大学生活を大人になるまでのモラトリアム期間だと称する人も多いが、文字通り受け取るのであれば、私は有意義な猶予期間を過ごしたと思っている。エリクソンが言うようなアイデンティティの確立のための必要な期間であったし、私は哲学上の青年期の課題をある程度までは克服できたと思っている。
私は、ひたむきに頑張る人が好きだ。
この世には世間的に良くないと言われていることに対して、「格好いい」「面白い」と感じさせてしまう幻影が潜んでいる。例えば、勉強を頑張らないこと。テスト間近に慌てて勉強をすること。単位を落とすこと。不特定多数の異性と不純に交友すること。健康的な基準度を大幅に外れたアルコールを飲むこと。夜中に酔っぱらって大声を出すこと。バイトを面倒だからとずる休みすること。基本的な教育を受けている人間に、これらの行為についてどう思うかと問えば、恐らく「あまり良くない」と答えるであろう。
しかし、この世界ではそれが偉くて、格好良くて、面白くて、人目を集めた。
私は染まろうとした。染まりかけたこともあった。でも、私はわたしだった。
それで良いのだ、と。首を縦に振った瞬間、楽になった。前を走っていく友人たちの背中を見ながら、それでも足を動かすことをやめた瞬間、大きく息を吸うことができた。
彼らが間違っているのか。そう自問すれば、間違っているとは言い切れないだろう。程度はあれど、彼らの行っていることは犯罪ではないからだ。故に彼らを咎めることは私の中で嫉妬であり、妬みを発散する手段であった。
私はひたむきに頑張ろう。
そう思ってから、私の周囲には似たような考えの人が集まるようになった。それこそが、大学4年間で得た宝だった。
私はわたしだ。
それは変わらない事実だ。だから前を向こう。胸を張ろう。誇りを持とう。
そうやって、シンプルに生きよう。
明日は卒業式。さよなら、私のモラトリアム。